Vamos! Book Club

Here are the records of a small book club in Tokyo. 東京のごく小規模な読書会の記録。

『帰れぬ人々』/鷺沢萠 “Kaerenu Hitobito” Megumu Sagisawa

 アーティストのデビュー作にはやりたいことの全てが詰まっている。先でまた新しいテーマを見つけられるか見つけないか、そこで大体アーティストの性質というのは二分される。というようなことを昔松任谷由実がラジオで言っていたらしい。70年代から90年代にかけてほぼ毎年のようにオリコン1位を取り続けていたあの松任谷由実がだ。なので私は音楽であれ、文学であれ、デビュー作に触れるのが好きだ。ほとんどの場合、技量の外に形にならないエネルギーがある。形にならないというのは、捨てられていないノイズがあるということだ。受け入れられやすい型に押し込まれた時に失われてしまうものに興味が有る。

 鷺沢萠は小学生の頃に手にとって、それから忘れていた。塾の国語の教材に使われていたように記憶している。(その頃彼女はまだ生きていた。)それが面白くて短編集を手にとった。ガソリンスタンドで少年と少女が恋に落ちる話を読んで無性にドキドキした。それ以外の話はすっかり忘れてしまった。講談社文芸文庫からデビュー作を含む初期作品集が出版されているのを先日新宿の紀伊国屋の書架で見つけ、なんとなしに買ってみた。2018年で生誕50周年、亡くなってから15年だという。

 自分の意思の及ばない理由で「家」(帰る場所)を失った都会の若者たちの一貫した喪失感と苦悩が4編綴られている。どれも設定から状況説明、起承転結まで一行の無駄もない筋肉質な短編である。素晴らしい技量を持っている作家で有ることは間違いない。特に『朽ちる町』は赤線青線の過去から現在の変化が主人公の持つ家の喪失感とパラレルに語られている一編だが、移ろいゆく時間の奥行きが今ここに有る喪失感の刹那感を強調する良作である。

 しかし、作品のテーマが読者の問題意識の器にハマるかどうかというのは小説のうまさやエネルギーとはさほど関係がない。ほとんど偶然の出来事だ。一週間単独でオーストラリアを彷徨いながら毎晩少しずつ読んだためか、琴線に全く響かないということはなかった。が、全体を通してどことなく古さ、それも熟味というよりは加水分解してしまったような古さを感じた。家庭もののアニメ、サザエさんちびまる子ちゃんクレヨンしんちゃんが茶の間を温めていた時代は近くない過去になりつつある(皮肉なことにいずれも原作者は故人だ)。 おそらくコナン(父子家庭に居候の身として転がり込んだ少年が隔週で必ず起こる殺人地獄を生き抜くために探偵を生業とせざるを得ない話)やポケモン(家を飛び出した少年が得体の知れない不気味な生き物と戦いながら当て所なく彷徨い続ける旅の話)の世代は家がないということにそれほど喪失感を感じないのではないか。初めから「家」などなかったのだから。それよりも個人的には長いこと連れ添った仲間の心が離れていく、というようなテーマの方に心が向く。その仲間がいくら得体の知れない不気味な存在であったとしてもだ。いつの時代も人々が果てしない喪失感と付き合い続けていかなければならないのは事実である。物質は存在する限り失われうるからだ。しかし、喪失感の矛先は移ろう。改めて昭和がとっくに過去になったのだということを再認識した。だとすれば、平成にもう用はない。

 

6点/10点

執筆者:J

“The First Bad Man”/ Miranda July (『最初の悪い男』/ ミランダ・ジュライ)

(記事には過度なネタバレを含みます。 )

 

8月に出た新訳ほやほや。アメリカ出身マルチメディアアーティストの初長編。四十代前半の独身女性(ミニマリストで気の弱い、流されがちな夢想家)の内面がクリーという若者(20代前半のビッチ)と同居することで変化する三年間の話。スラップスティックな構成でクリーとの関係が敵対→友だち→恋人のような→母娘というように短期間で変わって行き、赤ん坊を育てる経験を経て、最終的には老夫婦の境地まで達してしまうあたり、スローな浦島太郎感すらある。

 

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「結婚して家庭を持たないと大人じゃない」「子供を産んで育てないと一人前じゃない」「最後はやっぱり血の繋がった家族だから」そんな考え方に対して読者がもし窮屈さを感じているとすれば、この物語のリアリティが彼らを守ってくれるだろう。一方で、そうした命題が現代の世の中において当然だと思っている読者は物語を興味深く感じられないかもしれない。物語のリアリティで後者のうちの一人でもひっくり返すことができたら、小説は成功したと言って良い。また、ポリコレ的なあれこれを正直めんどくさいと思っている節のある主人公の設定はいわゆる同性愛や家父長制、フェミニズムといった典型的で一義的なテーマととらえないでほしいという著者の意図と読めた。政治的なことは抜きにして、ただドタバタを楽しんで読んで欲しいという風にも読めるし、「まあ、普通に働いて子供育ててると目の前のことに忙しくてそんなところまで自分の考えをきっちりまとめるヒマもないよね、」という問いかけにも読める。

 

ところで、クリーに赤ん坊が生まれ、育児が始まったあたりで物語は若干失速する。①生まれてくる子は育てる気がないから養子に出す→②いや、生まれてきてみたらやっぱり可愛いから養子に出さない→③でもやっぱめんどいから主人公に押し付けて逃げる、という親として人として最低な行いが筆致なめらかに書いてあるが、クリーへの批判や、葛藤などが描かれていないし、クリーは何も変化しない。この辺が全体を通して弱い部分と読める。 クリーの生き方を最低だと一蹴するのか、クリーのやりきれなさにまで思考を馳せられるかどうかで人間としての器が決まるのかもしれない(私は単純にバカヤロウと思いましたが)。主人公の勤務先の会社の対応まで含めて、育児の困難さに直面している日本人はアメリカっていいなと妬むであろう部分でもある。

 

あとがきによると、著者は妊娠出産を経てこの物語を描いたとのこと。育児には人が人を産むことに由来する困難さが多分にあるのだろう。そいういうものを追体験できる本というのは意外と少ない。

合わせて読みたい:『きみは赤ちゃん』/川上未映子

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最後にタイトルの素晴らしさについて。別に悪い男が出てくる話ではない(出ているのかもしれないが、そんなに悪くはない)。主人公とクリーの関係が初めてバチっとハマった瞬間の言葉が鮮やかに拾われている。

 

7点/10点

 

 Japanese edition has been just published in the last August. It is the first novel of Miranda July, American multimedia artist. The story is narrated by a 40’s single female, minimalist, dreamy, and pushover. Her personality has been changed through the community life with a young awkward girl, Clee. The relationship between the narrater and Clee has been changed within the short terms. At first, they are enemies, secondly friends, then lovers and after that they become like a real pair of mother and daughter. Thanks to the experience of the baby care and child raising, the narrator finally reaches the stage of an elderly woman. The themes like neglect of children or unintended pregnancy are serious but slapstick modes helps readers. After reading I thught of a famous Japanese fable, Urashima-Taro

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 “Everyone must get married and make a family” “Every human beings should grow their own children” “The biological family helps you in the last” The reality of this story protect some readers from the such kind of typical common slogan. Other readers ,who have not doubted the slogans, may not be interested in this novel. If this reality of this story makes even one of the latter doubt the common notion, it is a success of the author.
 On the other hand, the narrator’s conscious neglect to the political correctness seems to come from the author’ s intentional manner, which is to refrain from regarding the theme of this novel as just typical homosexuality, paternalism or feminism. Her hidden intention is likely to deliver a slapstick or describe the sympathy with the readers, which is daily business or family affairs takes us a time to think about political issues. This modest and tender mood makes this novel worth reading.

 

 After the birth of Clee’s daughter, the attraction of this novel is lost. Clee changes her own mind contradictly. At first, she refused to raise her kid and intended to adopt. However, once she met her son, she hesitated and denied the adoption. Finally she gave up the child care and leave away the narrator’s house. The criticism to Clee nor her conflicts seem not to be described enough. And she did not seems to grow up nor get into the new dimension. This weakness directly derived from a weak point of style of first person novels. The minds of readers might be measured by what they feel about Clee’s behavior though I am just disgusted. Almost Japanese struggling for child raising envy the American society which allows Clee’s behavior and American company culture enjoyed by the protagonist.

 

According to the postscript by the translator, the core idea of this novel has come from the author’s own experience of giving birth and child raising. A kind of pain is unavoidable as long as child raising is imperfect human behavior.

 

In the last I would like to emphasize the awesomeness of this title. There is not any bad man. Even if there is, not so bad. A keyword at the moment when the narrator and Clee reach out each other is vividly sounded on the cover.

 

7.0/10

 

Written by  J

 

PS:新潮社クレストブックの帯には「思いもよらない結末」的なコメントがあるが、そういうことを期待して読むと裏切られるので注意してください。